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独立国への発展

本当ににすばらしいことですね。
悲しい歴史を繰り返さないようにしてほしいです。


植民地から独立国へ

大西洋岸に位置するコーン諸島は、元々モスキート海岸の残りと共にニカラグアに割譲されるまでイギリスの保護領だった。こうして植民地になったニカラグアでは金鉱山とカカオ栽培に奴隷としてインディオが過酷な労役に使役され、インディオは虐殺や奴隷化の対象となり次々に死んでいった。またヨーロッパから天然痘が伝播するなど、先住民であるインディオの人口は絶滅に近いほど激減。インディオがほぼ絶滅すると、代わりにアフリカ大陸から奴隷が投入されるのも、ラテン・アメリカの他地域と同様であった。

その後 グアテマラ総督領の一部として管理のもとにおかれ、農業や牧畜業が営まれたが、中米の中ではコスタリカと並び開発されていない、立ち遅れた地域だった。また、次第にメスティーソが増えていった。 19世紀前半には中米各国のクリオージョたちの間で独立の気運が高まった。ナポレオン戦争でスペイン・ブルボン朝が一端消え去り、1808年からスペイン本国で、半島戦争と呼ばれる内戦が起きると、1811年から独立闘争が本格化した。1821年9月15日にグアテマラが独立すると、エル・サルバドルもスペイン支配から解放された。1821年9月16日に独立したアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国に他の中米諸国と共に併合されるが、1823年のメキシコ帝国の崩壊に伴い旧グアテマラ総督領の五州は中米連合州として独立し、1824年には中央アメリカ連邦に加盟した。エル・サルバドル出身のホセ・アルセが中米連邦初代大統領となるが、独立後すぐに混乱しだしフランシスコ・モラサンをはじめとする自由主義者のエル・サルバドル派と、 ラファエル・カレーラをはじめとする保守主義者のグアテマラ派の内戦のなかで、1838年に中米連邦は崩壊した。

中米連邦が崩壊して再独立した後は、他のラテン・アメリカ諸国と同じように自由党と保守党の対立が先鋭化した。

1855年に、アメリカ人で傭兵出身の冒険家ウィリアム・ウォーカーがニカラグア自由党の傭兵として上陸し、自由党と保守党の内紛を利用して支配権を掌握。翌年6月、自らがニカラグア大統領に就任した。アメリカ南部出身で環カリブ海帝国を作る気でいたウォーカーは英語を公用語として強制し、既にニカラグアでは廃止されていた黒人奴隷制を布告した。流石にこれには今まで戦争ばかりしていた中米諸国も焦ったようで、1857年、イギリスなどの支援を受けた中央アメリカ連合軍によってウォーカーは打倒された。これを国民戦争と呼ぶ。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)
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2007年11月22日 14:50に投稿されたエントリーのページです。

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